最高裁判所第三小法廷 昭和28年(オ)641号 判決 1956年4月10日
上告人(被告・被控訴人) 国
訴訟代理人 岡本元夫 外二名
被上告人(原告・控訴人) 野北全八 外三七名
主文
本件の上告を棄却する。
上告費用は上告人の負損とする。
理由
上告指定代理人岡本元夫、同河津圭一の上告理由第一点について。
原判決が、本件において上告人国の損害賠償責任を認める理由の要旨は、本件大爆発の原因となつた二股トンネル内の火薬類の焼却作業は、占領軍が主体となつてその方針に則りその計画に基いて実施したものであるが、当時日本陸軍の担当責任者たる矢野一三少佐は、右トンネル内の火薬類を占領軍当局に引渡すに当り、判示の詳かに指摘するように、必要な注意をすることを怠り、その結果占領軍当局において危険がないものと安易に考え判示の焼卸処分をなすに至らしめたる点において過失があるものと認められ、また添田警察署長和田定雄、警部補岸田正敏等は、原審の委しく判示するように、住民の生命、身体、財産等の危害なきよう適宜の措置をとるべきであつたのにそれをしなかつた点において、国の機関たる警察官として過失があつたと認めなければならないとし、結局上告人国は、「これらの機関の過失ある本件事故発生に関しその被害者に対し損害賠償を為すべき義務あるものといわなければならない」というに帰する。この趣旨について、記録により原判決の引用する証拠と判示説明とを検討してみると、その判断は必しも不当とはいえずまた違法があると認められない。所論は当裁判所の判例を引用し、原判決の判例違反を主張するのであるが、その前提として主張する前示警察署長等の行為の性質について(なお論旨は矢野少佐の行為については触れていないと認められる)、原判決の認定するところを記録に存する資料によつて考究してみると、原判決が本件の場合に警察官のとるべき注意義務として判示する各行為は、いずれも急迫の必要がある場合に認められる措置といえるとともに、判示のような要請は、切迫した勧告ないし注意と見るべきであり、その性質は公権力の行使たる警察作用に属しないと解するを相当とする。原判決も、もとよりこの見解に立つて上告人国の損害賠償義務を認めた趣旨であると明らかである。従つて本件は、所論引用の判例とその前提たる事案を異にするから、判例違反を論ずるのは当らない。
同第二点について。
所論(1) は原審の過失の認定を非難するが、原判決の詳細な説示について当時の異常な状況特に所論の相手方が占領軍であることを十分に考慮に入れて審究してみても、原審の認定に到達することが不能ではなく、これを背理であり違法であるということはできない。所論(2) は、矢野少佐に過失があつたとしても、過失と本件損害との間には相当因果関係がないと主張するが、原判決のこの点に関する委しい説示を考究してみると、この間の関係を納得し得るところであつて、所論のような違法があるとはいえない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判官 小林俊三 島保 河村又介 本村善太郎 垂水克己)
上告指定代理人岡本元夫、同河津圭一の上告理由
第一点 原判決には、最高裁判所の判例と相反する判断をした違法がある。
御庁第二小法廷は、昭和二十五年四月十一日昭和二四年(オ)第二六八号損害賠償請求事件において、「原判決が公権力の行使について民法の適用はなく、旧憲法下においては国の賠償責任は認められなかつたと判示したのに対し、論旨は公務員の重大なる過失に因り損害を与えた場合は国が賠償責任を負うべきものであるというのである。本件家屋の破壊が論旨のいうように公務員の重大なる過失によつて行われたものであつても、そのために本件家屋の破壊行為が、国の私人と同様の関係に立つ経済的活動の性質を帯びるものでないことは言うまでもない。而して公権力の行使に関しては当然には民法の適用のないこと原判決の説明するとおりであつて、旧憲法下においては、一般的に国の賠償責任を認めた法律もなかつたのであるから、本件破壊行為について国が賠償責任を負う理由はない。(中略)論旨は(国家賠償法附則の『この法律施行前の行為に基く損害については、なお従前の例による。』との規定について従前といえども公務員の不法行為に対し、国が賠償責任を負うべきものであつて、新憲法はこれを法文化したにすぎないと主張するのであるが、国家賠償法施行前においては、一般的に国に賠償償責任を認める法令上の根拠のなかつたことは前述のとおりであつて、大審院も公務員の違法な公権力の行使に関して、常に国に賠償責任のないことを判示してきたのである。(当時仮りに論旨のような学説があつたとしても、現実にはそのような学説は行われなかつたのである。)本件家屋の破壊は日本国憲法施行以前に行われたものであつて、国家賠償法の適用される理由もなく、原判決が同法附則によつて従前の例により国に賠償責任なしとし、上告人の請求を容れなかつたのは至当であつて、論旨は理由はない。」として上告棄却の判決をなされた。
この判決は右に引用したところによつて明らかなように、日本国憲法施行以前の公務員の違法な公権力の行使については、国家賠償法第一条の適用はなく、同法附則末項によつて従前の例により国の賠償責任がないことを宣明されたものであると解する。
ところで原審は、「昭和二十年十一月十二日占領軍ユイング少将が兵二、三名を引連れて添田警察署を訪れ、本件火薬類の焼却処理を行うため、人夫五、六名を出すことを命令したので、同警察署長和田定雄の命を受けた同署警防主任として警防団関係並び火薬関係等の事務を担当していた警部補岸田正敏は、佐々木精一、島本渥美の両巡査を引卒して右占領将兵等と同行し、人夫を集めて先ず吉木トンネルに到つたところ、占領軍将兵等は人夫達に手伝わせて吉禾トンネル内から火薬包入りの箱四、五個を取り出し、その一部に点火して焼却試験をした後、火薬の包を破つて取り出した火薬を撒布して幅約一米、トンネル北口から十五米ないし二十米の長さの導火線を作り、同日午後一時頃占領軍将兵等がライターでこれに点火し、更に二股トンネル北口に到り、前同様の焼却試験を行つた上、前同様の方法により導火線をつくり、同日午後三時頃占領軍将兵等がこれに点火し、十数分間その燃焼状況を見守つた後岸田警部補等を伴つて次の焼却作業現場たる岸瀬火薬庫に向つたことが認められる。(中略)添田警察署長和田定雄は、前示の如く本件火薬類の物件目録の交付に立ち合い、且つ、矢野少佐から右物件目録一部を受領して居り、又本件事故発生までの間において矢野少佐から説明を受けたことがあつて、本件火薬類の品目、名称、数量、性能等について知つていたこと、本件処分に際し、和田署長は占領軍将兵等が二股トンネルの火薬類を焼却に来たことを知つてその要請によつて警部補岸田正敏等を同行せしめながら、その焼却作業の状況によつては人命、財産等に危険のないよう万一の場合に処して住民を避難させるなど適宜の処置をとることを命じなかつたこと、又現場に赴いた警部補岸田正敏においても、同所において占領軍将兵等が前示の如き焼却作業を行うことを現認しながら、その危険発生の事態に想到せずして二股トンネル附近において那須巡査部長(現場で爆死)その他警防団員に見張をさせてとどまらせ、一般住民の右トンネル附近に近付いて見物する者のあるのを敢て阻止せず、もとより何人をも附近から退避させ或は住民に避難命令を発する等被害防止につき格別の措置をとらなかつたこと、又従来二股トンネル附近においては危険防止のため火気を厳禁して来たことが認められるから(原審並びに当審証人和田定雄の証言中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。)公安維持の職責をもつて警察官として、添田警察署長和田定雄においては部下の警部補岸田正敏に対し焼却作業の状況によつては人の生命、身体、財産等に危害のないよう避難命令を発する等適宜の措置をとることを訓示徹底させ、又警部補岸田正敏においても現場において前示の如き焼却作業が行われることが判つた以上、たとえ吉木トンネルにおいては二股トンネルと同様の方法により火薬類に点火し、二股トンネルに赴くまでの間事故発生の事実を認識しなかつたとしても(結局吉木トンネルにおいては全然事故はなかつたのではあるが)二股トンネルの本件火薬類点火焼却につき危険発生の事態の立ち到るべきことに想到し、仮に占領軍将兵等の右方法による焼却作業を中止させることが期待し得なかつたとしても、二股トンネル附近からすべての人を退避させ、且つ、広く附近住民に対し前示焼却作業が行われることを周知徹底させて住民を避難させ、できる限り人の生命、身体、財産等に被害のないよう適宜の措置をとるべきであつたにも拘らず、事ここに出でず、占領軍将兵等の言を盲信して何等の危険なきものと速断し、被害発生を防止するに足る何等の措置をとらなかつた点において国の機関たる警察官にも過失があつたものといわなければならない。従つて被控訴人国はこれらの機関の過失ある本件事故発生に関し、その被害者に対し損害賠償を為すべき義務あるものといわなければならない。」として国の賠償責任を肯定されたが、本件事故は日本国憲法施行以前のことに属するのであるから、前段引用の御庁第三小法廷の判例に従う限り、仮りに警察官等の行為が違法であつたとしても、国に賠償責任はない筈である。原判決は明かに前記最高裁判所の判例と相反するものといわなければならない。
もつとも原判決には国の損害賠償義務が民法第七一五条に基くのか、国家賠償法第一条によるものかについては何等ふれるところがない。あるいは原審は、警察官の前記の如き措置をもつて公権力の行使ではないと解し、民法第七一五条により国の賠償義務を認めたのであるかも知れないが、凡そ公安維持の職責をもつ警察官として、公共の危害を防止するために、危険の場所から人を退避させ、あるいは附近住民に対して避難命令を発するというようなことは、正に警察権本来の作用に属することであつて(警察法第一条、警察官等職務執行法第四条参照)、国家賠償法第一条の公権力の行使に該当する行為である。ただ本件は警察法及び警察官等職務執行法の施行前の事件であり、当時においては、人の生命、身体、財産に対し危害が切迫していると認める場合には、警察官は危害予防のため、土地、物件を使用処分し、又はその使用を制限することはできたが(行政執行法第四条、同法施行令第二条)、強制的に人を退避させるとか、あるいは附近住民に対し避難命令を発するというようなことは直接これを認めた法令の規定がなかつたので、本件において警察官が二股トンネル附近から人を退避させ、又は附近住民に対し避難命令を発する等被害防止にづき必要な措置をとるとしても、それは行政上の措置であつて、法的な強制力を伴わないものといわなければならないが、法的な強制力を伴うことは必ずしも公権力の行使の要件ではない。
例えば、警察官が被疑者を任意同行する場合は勿論、公証行為や確認行為には何等強制力は伴わないが、これが公権力の行使に当ることについては異論がない。このことは印鑑証明の事務について大審院のつとに認めるところである(大判昭和十三年(オ)第六九四号同年十二月二十三日言渡・民集一七巻二六九四頁参照)。警察官が危害防止のために行う退避処分や避難命令は、警察権本来の作用であつて、それは国家統治権に基く優越的な意志の発動として行われるものであり、国家が私人と同様な関係にたつ経済的活動とは全く性質を異にするものであるから、これは公権力の行使と解する外はない。原審の判示するところによれば、本件の場合に警察官は二股トンネル附近からすべての入を退避させ、又附近住民に対し避難命令を発する等被害防止につき必要な措置をとらなかつたというのであるから、原判決のいうようにそれが違法であるとすれば不作為による違法な公権力の行使にあたる。従つて原判決が前記最高裁判所の判例と抵触することは明らかであるといわなければならない。
第二点 原判決には過失及び因果関係に関する法令の解釈適用を誤り、審理不尽をきたした違法がある、
(1) 過失について。
原判決は、矢野少佐の過失について、「日本陸軍の担当責任者としての矢野少佐は本件トンネル内の火薬類の性能及び格納状況についても詳細説明して占領軍当局に十分これを知悉させ、その焼却処分をするに当つては、特に解放された場所に搬出し大気中で少量宛焼却すべきものであつて、本件トンネル内に格納した状態のままで焼却することは甚だ危害であり、大爆発を免れないから、かかる焼却処分は絶対にしないよう占領軍当局として十分注意を喚起させる措置を講ずべきであつたのに、これを怠り大爆発の危険を感知せしめなかつた結果、占領軍当局において危険がないものと安易に者え、前示の如き焼却処分をなすに至つたものと考えられるのであつて、この点において矢野少佐に過失あるものというべきである。」と判示した。上告人は原審のこの認定には不満があるが(少佐は、一審において証人として「墜道の火薬を占領軍が引取つてから其の処理について証人は質問を受けました。其の時証人は火薬を少量宛広い場所へ持出して焼却すれば宜しいと説明した処、夫れに協力して呉れるかと云われたので証人は協力することが出来ると話した事があります。」と供述しており、又原審においても同様の供述をなし、第一審裁判所はこの証言を採用している)、いまは暫らくこれを措く。原審の確定した事実によれば、矢野少佐は、日本軍を代表して火薬類の品目、名称、数量並びに格納場所を明示して、本件火薬類を適法に占領軍に引き渡し、占領軍の質問に応じて分子式をもつてその性能を説明しているのである。上告人は、火薬の引渡が適法に行われたものである以上、矢野少佐の引渡に関する過失を問擬する必要はないと思う。不法行為における過失は、当該の行為が違法なる場合に初めて問題にさるべき性質のものだからである。原判決の趣旨とするところは、矢野少佐が火薬の引渡に際し当然なすべき注意を怠つた点に過失があるというのだろうが、本件引渡の当事者は日本軍と占領軍である。占領軍にも火薬の処理に通暁した専門家がいる筈である。占領軍において安全な方法で火薬を焼却すべきことを期待するのは当然の筋合であつて、特に求められない限り矢野少佐から進んで焼却方法を教示すべき義務はない。原判決は、本件火薬の引渡が軍相互間の引渡である点に十分に留意せず、例えば引渡の相手方が民間人であるような場合に要求される注意義務を前提として矢野少佐に過失ありとするものであつて、過失に関する法令の解釈を誤つたものであると思う。
また原判決は、警察官の過失について、「公安維持の職責をもつ警察官として、添田警察署長和田定雄においては部下の警部補岸田正敏に対し焼却作業の状況によつては人の生命、身体、財産等に危害のないよう、避難命令を発する等適宜の措置をとることを訓示徹底させ、又警部補岸田正敏等においても現場において前示の如き焼却作業が行われることが判つた以上、たとえ吉木トンネルにおいては二股トンネルと同様の方法により火薬類に点火し、二股トンネルに赴くまでの間事故発生の事実を認識しなかつたとしても(結局吉木トンネルにおいては全然事故がなかつたのであるが)、二股トンネルの本件火薬類点火焼却につき危険発生の事態の立ち到るべきそとに想到し、仮に占領軍将兵等の右方法による焼却作業を中止させることが期待し得なかつたとしても、二股トンネル附近からすべての人を退避させ且つ広く附近住民に対し前示焼却作業が行われることを周知徹底させて住民を避難させ、できる限り人の生命、身体、財産等に被害のないよう適宜の措置をとるべきであつたにも拘らず、事ここに出でず、占領軍将兵等の言を盲信して何等の危険なきものと速断し、被害発生を防止するに足る何等の措置をとらなかつた点において国の機関たる警察官にも過失があつたものといわなければならない。」と判示されたが、これまた過失の解釈をあやまつたものと考える。本件火薬類が日本軍から占領軍に引き渡されて、その占有管理下にあり、占領軍が主体となつて自ら定めた方針と計画に基いて焼却作業を実施したものであつて、警察官は従属的な地位においてその焼却作業に協力したにすぎないものであることは原審の確定した事実である。こうした事実関係と火薬類の焼却作業という事柄の性質を考えれば、警察官等が占領軍において危害の発生防止について十分研究の上万全の注意を払つて焼却作業を実施するものと考えて、占領軍を信頼し、占領軍の指示のままに行動すれば足ると考えたことは蓋し当然のことだろう。従つて和田署長が岸田警部補に対し焼却作業の状況によつては人の生命、財産等に危害のないよう避難命令を発する等適宜の処置をとることを訓示徹底せざる措置をとらず現場に立ち会つた岸田警部補等が占領軍の焼却試験の結果やその言動に信頼して危険なきものと誤信し、避難命令等の処置をとらなかつたといつて、直ちに「占領軍将兵等の言を盲信して何等の危険なきものと速断し、被害発生を防止するに足る何等の措置をとらなかつた点において国の機関たる警察官にも過失があつた」ということは余りにも苛酷に失する。警察官等には正に占領軍将兵の言を信頼するにつき正当にしてやむを得ざる事由があつたのである。
(2) 因果関係について。
本件損害は、占領軍が火薬類をトンネル内に格納したまま焼却したことによつて生じたものである。火薬をトンネル内に格納したまま焼却するというようなことは一般の常識をもつては考えられないことである。ことに占領軍にも火薬類の性能等に通暁した専門の技術将校がいる筈であるから、本件火薬類をトンネル内に格納したままで焼却するということは通常あり得ないことであるから、本件損害はいわゆる特別事情による損害といわなければならない。しかし矢野少佐は占領軍が火薬類を焼却することは知つていたが、トンネル内に格納したままで焼却することは当然これを予見せず、又占領軍にも専門の技術将校がいる以上、かかる乱暴な焼却方法をとることは予想を絶したことなのであるから、仮りに少佐に過失があつたとしても、過失と損害との間には相当因果関係がない。原審がこの間の事情を考慮せず、たやすく因果関係を肯認されたのは因果関係に関する法令の解釈を誤つたか、又は審理不尽の違法を敢てしたものという外はない。原判決は破棄を免れないものと考える。
以上